横山大観 富士への想い・日本への想い

2018-05-31


小松絵画教室 暇つぶしの美学
 

 
日本画の題材として、昔から多く描かれているのが「自然」です。


それは田畑のような風景や、野に咲く草花だったり、海、山、川と日本の四季の美しさを画家達は描いてきました。




日本画家の大家の一人である、横山大観という画家がいます。

大観といえば富士山の絵、というイメージの方も多いのではないでしょうか。
富士山といえば日本、日本
といえば富士山、といわれるぐらい世界でも有名です。




今回は
『横山大観と富士』をテーマを取り上げたいと思います。





横山大観とは

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横山大観 (いい写真ですね~…)

横山大観(本名 横山 秀麿)。日本画家。近代日本画壇の巨匠。
「朦朧体(もうろうたい)」と呼ばれる、独特の画法を確立した。

当初は建築家を目指し東京大学予備門を受験するが、同付属英語専修科とのかけもち受験が発覚して、失格。
その後、将来の事を考え私立東京英語学校へ入学。
学校へ通う傍ら、洋画家の渡辺文三郎にデッサンを学び、次第に大観は画家志望になっていく。

東京美術学校(現 東京藝術大学)の第1回生として橋本雅邦・岡倉天心に師事。1896年には同校助教授に就任。
2年後岡倉天心が東京美術学校を退職、天心は日本美術院の創立、大観も創立の中心的存在となる。

明治から昭和にかけて日本画壇の中心として活躍。師の岡倉天心の思想をくみ終生、画業に邁進する。






半端ない酒豪


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横山大観は画家としても有名ですが、酒豪であったことも有名です。

しかし実はもともと大観はお酒が全然飲めない下戸でした。



何故そんな大観が酒豪になったのかというと、

師である岡倉天心が酒豪で
「酒を1升ぐらい飲めなくてどうする」と言われたことをきかっけに、飲んでは吐きながら徐々に強くなっていったという逸話があります。

それからというもの、一日に2升以上飲む立派な大酒飲みとなりました。



こういうふうに書くと大観が酒を片手に絵を描いていたのか、という疑問がでてきますが、
決して酒を飲みながら絵を描くという事はしませんでした。


しかし、大観にとってお酒は生命維持にかかせないもので
彼の主食はお酒。白米は茶碗に一杯あるかないかくらいしか食べなかったといわれています。



晩年、大観が病気で入院中の事。
ついに口から何も受け付けなくなってしまった時、大観の愛飲していたお酒だけは喉を通り、そこから奇跡的に病状が回復したという話があります。



80歳を過ぎても1升のお酒を飲んでいたという大観。
そんな彼がアルコール中毒にもならず、亡くなる3年前まで筆を取り続けたというのですから、ただ驚くばかりです。

ちなみに、大観の弟子は、酒ぐらい飲めないとダメだ、と言って酒を飲んでみんな駄目になったんだとか…。
お酒を飲んで酔っ払ってだらしない弟子は破門にもなっています。

なんということでしょう…ある意味厳しい世界ですね。




『霊峰富士』という永遠のテーマ


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横山大観といえば『富士山の絵』と言われるぐらい、彼は多くの富士の作品を残しました。
生涯に描いた富士の作品はスケッチなどを含め、千点を超えるといいます。




大観が富士の絵を描くキッカケといわれているのが、まだ若い頃アメリカ人と共に立山に登った時の事でした。

登った先のそこにあった景色は、
左右に北アルプス連峰がのび、日本海がその先にひろがり、
遠く雲海に富士が浮かんだ雄大な景色でありました。

この時の経験が"富士の画家"と言われるまで、その後の大観の画家人生を大きく変えていったのでした。




昭和15年には、画業50年を記念して制作された「海・山十題」の20点は
批判的な評論家も大絶賛し、展覧会の人気もすごくゆったりとした陳列にもかかわらず、大混雑して竹の柵が壊れてしまうほどでした。


この展覧会の機会に描かれた《日出処日本》は天皇陛下に献上され
現在では宮内庁三の丸尚蔵館に所蔵されています。



戦争・敗戦を経験した大観にとって、
富士はつねに祖国日本の象徴でありました。



しかし戦争によりその「日本」が消滅したと感じていた大観は
敗戦の翌年、日本美術院の挨拶の一文に

 
『いったんは亡んだと思われた祖国を再び蘇らせるには、"芸術"の力によるほかはないと固く信じている』

と記されています。







最晩年には、大観は富士に対する気持ちをこう語っています。


 
『古い本に富士を「心神」よんでいる。心神とは魂のことだが、私の富士観といったものもつまりはこの言葉にいいつくされている。(略)しかし、富士の名画というものは昔からあまりない。

それは形ばかり写すからだ。富士の形だけなら子供でも描ける。

富士を描くということは、富士にうつる自分の心を描くことだ。心とは人格にほかならない。それはまた気品であり、気迫である。富士を描くということは、つまり己を描くことである。

己が貧しければそこに描かれた富士も貧しい。富士を描くには理想をもって描かねばならない。私の富士もけっして名画とは思えぬが、しかし描く限り、全身全霊を打ち込んで描いている』

(横山大観・談「私の富士山」昭和29年)






●おまけ

大観は最初、これからの時代食べていくためには英語は必要と思い、語学学校へ通っていました。なので彼は英語が堪能。
岡倉天心とともにアメリカやヨーロッパでも展覧会を開き、大成功を収めています。

この当時に日本の画家が英語で自分で絵の解説をするというのは、本当に驚くべくことであったと思います。

そんな大観は70歳を過ぎても、ライフやニューヨークタイムズを愛読していたといいます。








いかがでしょうか。







私は実をいうとあまり、富士山=横山大観ではありませんでした。

比較的初期の頃の作品を見る事が多く、
今でも大観の作品で一番好きな作品が初期のころに描かれた《布袋》という作品です。


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横山大観《布袋》



ただただ、心が静かになっていく感覚を今でもよく覚えています。








この夏、京都国立近代美術館で『生誕150年 横山大観展』が開催です。

重要文化財の《生々流転》から、未だ知られていなかった新作作品など展観する大回顧展です!
是非、大観の富士への想いを、日本芸術に対する想いを、展覧会でご覧頂ければと思います。






 
ここまでお読み頂き、本当にありがとうございました。









 
 
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